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読書感想文:岸政彦『ビニール傘』

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 恥ずかしながら、齢三十一にして、まともな傘を持っていない。振り返れば高校生くらいの頃から、ずっとビニール傘だ。普通の傘というのは、なんとなく持っているだけで仰々しいというか、ビニール傘の、あのラフな感じが、気に入っているといえば気に入っている。靴や時計や服なんかは、まぁ、それなりのものを持っている。仕事をしていると、やっぱりある程度は見た目で判断されるし、何より相手に失礼でない見た目が必要な場面も出てくるからだ。

 けれど、傘だけはなんとなく、揃えられていない。多分、毎日必ず必要なわけではないからだ。天気予報というものも最近ではそれなりの精度になっているものの、時間と場所をピンポイントで予測できるわけではない。雨の予報でも、家を出たら、まだギリギリ降っていないこともあるし、季節によっては突然の豪雨なんてこともある。

「いやぁ〜、突然降りましたね。天気予報、一応見ていたんですけどねぇ」「家を出たときは降っていなかったんですけれど〜、こっちは降ってますねぇ」などと言いながら、とりあえずの品としてのビニール傘を使う。それで、ずっと事足りることが多い。

 ビニール傘は軽い。どこかに置き忘れても、大したことはない。便利さ、というには随分と都合の良い手軽さがある。けれど、どこかだらしがない。だらしがないよな、ということが判るくらい大人になった、というよりかは、だらしのなさが持つ、ロック的な格好良さ(あるいはその手の錯覚)が、もう自分には纏えないという諦念なのかもしれない。

 岸政彦著『ビニール傘』は芥川賞候補にもなった表題作と『背中の月』という短編からなっている。僕は二作目の『背中の月』の方を面白く読んだ。

 どちらの作品も、本業が社会学者だという著者ならではの視点から描かれているように思う。よく面白い小説を指す言葉として、「キャラクターが立っている」という言葉が使われるが、この小説の場合は、景色、風景、その描写が立っている、といえるかもしれない。匿名性の高い、社会の底辺ギリギリにいる登場人物たちが、大阪という町の片隅で、それぞれの日常を過ごすのだが、それぞれの部屋や職場、毎朝歩く道、その風景、生活の景色が描かれることで、名前を持たない人々が、鮮明に描かれる。いや、その人々や生活自体は、どちらかというと燻んでいるのだが。

 昔、とある作家が新人の頃、「人間を書けば、社会が書けますから」と、大御所作家に豪語したらしいが、その逆パターンだろうか。社会を書くことで、人間を書くというか。

 大阪やその近辺の土地勘が全然ないので、出てくる地名に対してシンパシーやリアリティを感じることは出来なかったし、合間に挟まれている風景写真にも、飾り以上の効果を感じなかったが、小説に浸るにつれて、見入ってしまう写真も何枚かあった。なので、飾り以上の効果はあったのだろう(どっちやねん)。それに、装幀(表紙)の感じはカッコイイ。ツイッターで友人が勧めていて買ったのだが、ネタバレ的なものが嫌で、彼のレビューはまだちゃんと読んでいない。だから、ほとんどジャケ買いだ。

 電車の窓から見える、日々少しずつ朽ち果てていく廃屋の描写がある。それを見ながら、そこに住んでいたであろう人たちの生活を想像する場面が、特に良かった(まさに私的で詩的で素敵)。仕事終わりに立ち寄った喫茶店で読んでいたのだが、不覚にも少し泣きそうになってしまった。

ビニール傘

ビニール傘

 

  ビニール傘は、透明なのも良い。向こう側が良く見える。けれど、そろそろちゃんとした傘を買おう、とも思う。透明なものはきっとないだろうけれど、きっとまだ色くらいは選べるはずだ。そんなことを、なんとなく思うのでした。