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時事ネタ

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 時事ネタに言及するという行為自体に、どちらかというと抵抗感がある。自分自身の下世話な野次馬根性みたいなものを自覚させられるし、上手いことというか、鋭いことを言ってやろう的な見栄だったり自意識だったり、とにかく『ダサい自分』の存在を見透かされそうで憚られてしまう。

 ただ、ときどき「まぁ、これくらいだったら言っても良いのかなぁ」と言及することはあるし、明るい話題であったりだとか、そうでなくても音楽とか映画とかそれこそ小説とか、そういうジャンルに対してなら、ちょっと言ってみるか、という気分にもなる。別に僕みたいな者がいちいち言わなければならないことなんてないのだけれど。

 2018年の1月に『ガールフレンド』という短編集を出した。その中の『小説ガヴァドン』という話が、ラノベタイトル風にざっくりとあらすじを説明すると、

『幼馴染の女の子が虐待されてるっぽいけど何も出来ずに小説書いてたらその子引っ越しちゃって、十数年後に結婚式に呼ばれて行ったらなんやかんやで解決してた件』

 とまぁ、こんな感じで、その1年後に、野田市の事件が起きた。

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 これまた自意識過剰だと言われるかもしれないが、自分の小説の設定と類似点が多くて、まず驚いたし、『小説に書いたことが本当になれば良いのに』的なこともテーマというか題材のひとつだったので、自分勝手でそれこそ不謹慎だけれど、どこか他人事とは思えない事件だ。自分が書いているときに想像していた人物像と、報道から読み取れる加害者である父親のキャラクタが、どことなくリンクしてしまっている。自分の小説では、虐待をする父親を、とある病気ということにしたのだけれど、実際の事件の父親も、(種類は違うにしても)そうなのではないか、と思わずにはいられない。というか、そうとでも思っていないと、とてもじゃないけれど信じられない。奇しくも、僕自身が先々月に娘が生まれたばかりで、実の子に対して実の父親がこんなことをしてしまうのか、と。

 フィクションを書く自分の想像力が現実の前ではいかに浅はかなものなのか。事実は小説よりも奇なり、とは言うけれど、そんなことは当たり前で、現実の突拍子も無い荒唐無稽さは、フィクションには到底落とし込めないような気がしている。

はっきり言って、実際の事件の父親は正常な精神状態ではなかったように思う。こう書くと精神状態などを理由に責任能力が争点になり、結果的に罪に問われないケースなんかもあったりするので、賛否はあると思うけれど、個人的には、なんらかの精神疾患やそれに類するものが、特定の犯罪の原因のひとつである場合があるというのなら、その因果関係を出来るだけ解明して欲しいと思う。他人事とは思えないと言いながら他人事だから言えるのだけれど、感情的に犯人というか容疑者を罰するべきだ、と声高に主張するよりも、社会として、今後同様の事件と被害者が生まれてしまうことを防ぐ方向に持って行くほうが、他人事である僕らのリスクを減らせるのではないのだろうか。いや、これはこれで精神疾患などと向き合っている人たちにはリスクになるのかもしれないけれど。

 こういったことに対して、小説家が出来ることなんて、ハッキリ言ってないと思う。ニュースを見ながら、やんややんや言っている人々と、なんら変わりがない。でも僕は、小説を書くときは烏滸がましいけれど、小説全体というか、社会というか、世界というか、その領域を拡げたいと思っている。または、ごく一部分だけでも更新出来ないかとも。世の中を変えてやるんだ、という意気込みはときに痛々しいものとして冷笑されてしまうのかもしれないけれど、それでも何か、たとえば自分とは違う立場の人々やその人生を想像するキッカケになって欲しい、みたいなことを思ったりもしている。

 徒然と書いてしまったけれど、プロ/アマチュアを問わなければ、小説を書く人の数はごまんとあるし、その作品の数はそれ以上ある。一人一人の書き手が担う領域は狭いかもしれないし、狭くても良い。なにもシリアスな社会問題だけでなく、色々な領域において。改めて自分の書くものが、広大な領域のほんの片隅を担うものであって欲しいし、担いたいという思いを、これまた頭の片隅に留めておこうと思った。