僕の神様、第三回「村上春樹」
先日、ふと(あるいは必然だったかもしれない)こんなことを思ったので、トゥイットしました。
僕にとって神様みたいな人って誰だろう
— 王木 亡一朗 (@OUKI_Bouichirou) 2015, 5月 8
原田宗典「優しくって少しばか」
森博嗣「僕は秋子に借りがある」
保坂和志「この人の閾」
村上春樹「ダンス ダンス ダンス」
神様クラスだと、これらだろうな〜。
— 王木 亡一朗 (@OUKI_Bouichirou) 2015, 5月 8
ということで、つれづれと自由に、僕の神様のことを書いてみようかなと。
さて、第三回は村上春樹さんです。
説明不要ですね。
さてさて、今回は難しいぞ(笑)。まぁ、あえて気にせず(!)、あくまで自由に。諸々棚上げにして書くぞ!
誰もが名を知っているであろう国民的作家。新刊を出せばトップニュースになる、現代で唯一の小説家と言っても過言ではありませんね。
故に、アンチの人も多いし、独特な文体はネタにされること多数(このブログの冒頭のように)。最近、はてなの企画で質疑応答みたいなことをされていましたね。面白く拝読させて頂きました。
もうね、色んな人がいろんなことを書いているので、今更、僕が書くのも烏滸がましいですが、出会いから。
前置きが長いなー。予防線張ってんなよ(消せよ!w)
小学生くらいから図書館によく行っていて、シャーロック・ホームズとか読んでいたのですが、いわゆる国内の一般文芸(?)は、中学生になってから。母親が比較的本を読む人で、彼女の本棚から時々拝借して読んでいました。だから、割と女性作家が多かった気がします。山田詠美さん、山本文緒さん、江國香織さんなどなど。ずっと、女性作家の文章に慣れていたので、ある時宮本輝さんの「私たちが好きだったこと」を読んで、「なんか理屈っぽくて固い文章だな〜、読めん」などと思っていました。(読みましたが)
なので、自分は男性作家の小説は向いていないな、などと思っていたのです。けれど、ある時、国語のテスト(全国模試みたいなもの)に、この「ダンスダンスダンス」が出てきました。そして、感銘を受けました。
それは、こんな一文です。
僕らは海岸に寝転んで海を眺めていた。空はどんよりと曇っていた。生温かい風が砂浜に生えた草の葉を揺らせていた。
文庫版下巻の257ページからの、主人公とユキという少女の会話の後の描写。
何故だかは全然判らないんですが、この一文に、猛烈に感銘を受けたことを憶えています。本当に今でも憶えているんです。牛乳を飲んでその牛が食べていた草の味を感じるような、豊かで強烈なイメージに襲われたというか。すぐに学校の図書室で、上下巻とも借りて読みました。
(ちなみに、この作品は「僕と鼠シリーズ」の4作目なのですが、当時はそんなことを知る由もなく、「ダンス〜」→「羊を〜」→「ピンボール」→「風の歌を〜」の見事な逆打ちで、「鼠って誰よ?」状態で読んでいました(笑)。でも、ある意味楽しめましたよ)
この体験から、小説の読み方が変わったと思います。なんていうのかなー、紙の本てモノクロじゃないですか? 白い紙に黒いインクで印刷されていて。だから、脳内映像もモノクロに近かった気がします。小学生のころ読んでたのもシャーロック・ホームズですし、子供の頃は白黒フィルム以前の時代は、白黒で想像してました。でも、この一文に出会ってから、それがカラーに変わったと言うか。(ベルリン・天使の詩的パラダイムシフトですね?)
この連作短編集の最後に「蜂蜜パイ」という作品があって、本当にもう大好きな短編なんですけど、そこに、こんな一文があります。
彼は自分の文体を持っていたし、音の深い響きや光の微妙な色合いを、簡潔で説得力のある文章に置き換えることができた。
これ、僕が村上春樹さんの文章に感じた印象そのままなのです。すごく好きな一文。
そして、締めの一文がまた良いです。さすがに引用はしませんが。明るくて素敵でハッピーな締めくくり。「ダンス〜」もそうですが、この二つの作品は特に、祈りと光の、明るい感じが好きです。スタンドバイミー。
おわりです。
いくぶんさっぱりしていますが、僕は好きです。
「納屋を焼く」が不気味で良いです。後の長編の原型(?)な感じ。
404 ノット・ファウンド - あるいは、ページが存在しないことについて
これ面白いです。
ほんとにおわり。