ドミトリーともきんす、を読んだ。
さて、読みました。
インターネット上で連載されていたものも読んでいましたが、大幅に加筆修正されています。(どこがどうかは、確認していませんが、そう記載されています)
朝永振一郎、牧野富太郎、中谷宇吉郎、湯川秀樹という四人の科学者(研究者)の言葉(文章)をテーマに、静かな世界が描かれています。
「気持ちを込めずに、自分のことから離れて描く」とあとがきに書かれていましたが、静謐な文章が詩に見えるように、この作品の絵と言葉は、まるで詩のようです。そして、最終話には湯川秀樹の「詩と科学」が引用されています。その詩、そのままの(といったら語弊があるけれど)世界が漫画で表現されています。「詩と科学がおもいがけず交差する」というのを漫画でやったというか。漫画と科学が綺麗に交差しています。
個人的に興味深かったのが「球面世界」と「鏡の中の物理学」、そして「数と図形のなぞ」でした。
「球面世界」では、「球面上の平行線が交差してしまう。光も同じように……」という楕円幾何学の話が出てきていて、うわ、下手な図だな……。
面白かったです。視覚って、容易に錯覚を起こしますよね。錯視とか。錯視は、脳の問題でしょうが、以前なにかで、「光速で走っている車から見た、前方後方はどう見えるか?」という文章を読んだときも、「そうかそう見えるのか。じゃあ、人間てのは、センサーで感知した情報を脳が処理して、その情景を視(感じ)ている。すなわち頭の中に世界があるのか」と思ったものでした。(ホントかよ?)
「鏡の中の物理学」では、「なぜ鏡の中の世界では、右と左だけが反対になって、上と下は、逆さにならないのでしょう」という台詞がありました。
例えば、顔が無く、片方だけバルタン星人のハサミみたいな腕を持つ宇宙人がいて、ハサミのある方を、その宇宙人の社会では「右」と定義しているとすると、鏡の中では「左右」は入れ替わりません。数学者も笑いません。前後が入れ替わります。
「数と図形のなぞ」では、数を数えることとは、抽象化であり、普遍化である。そして、それによって一般化するといっても良い、という事が描かれています。
「十匹の牛がいることは確かとしても、十という数字がそこにあるとはいえない。数は、フィクションに近くなっていく」
「理屈はいい。感性を大事に」という様な言葉をたまに聞きますが(どこで?)、理屈や論理を知ることで、研ぎすまされる感性というのもあるように思います。
なんか理屈っぽいことを色々と書いたり、引用してきましたが、難しい本ではありません。科学の言葉と絵とフィクションが交差しながらモーフィングしていく、そんな詩的な世界が広がっています。(そして、それは読者の頭の中で展開されています)
詳しい内容は、Amazonの紹介文を読んでもらえれば良いと思います。
あ、そうそう。エピローグ的な掌編に、地元の盆踊り、「新津松坂」が紹介(?)されていて、ちょっと嬉しかったです。僕の小説に出て来る「秋陵高校」は「新津高校」をモデルにしております〜。でわ〜。
笑わない数学者 MATHEMATICAL GOODBYE (講談社文庫)
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※太字分が追記です。よくよく考えたり、読み直したり、調べ直したら、「前後」「上下」は入れ替わりませんね。勘違いでした。お恥ずかしい。以下の文を消しました。
「正確には、正面にある鏡では、「左右」「前後」が逆になっています。真上(または真下)にある鏡では、「左右」「上下」が逆になります。」