セルフパブリッシング・オア・ダイ!
王木亡一朗です。
先週発売した『ロスト・イン・カンヴァセイション』ですが、おかげさまで、過去最高の初動になっています。あくまで当社比ですが。
一年くらい温めていた(半ば放置でしたが)作品だったので、こうして世に放つことができて、なんと言いますか、ホッとしています。先ほどちらっと見たら、キンドルの細かいカテゴリランキングで二桁台にいまして、すぐ下には羽田圭介さんの『スクラップ・アンド・ビルド』がおりました。同い年なので意識しておりますw
早くも感想や書評をいただきました。感謝です。
・佳代ちゃん(月狂四郎さん)
久しぶりに出てきた佳代ちゃんが「Lost in Conversation」を読んだらしい - ペンと拳で闘う男の世迷言
・牛野小雪さん
・水上基地さん
勝手にレビュー~Lost in Conversation (王木亡一朗 著) – 猫モフモフ
・倉下忠憲さん
執筆中は主に無音か、作中にも出てくるビル・エヴァンスを聞いておりました。
もともとロックのリスナーなのでジャズはあまり詳しくないのですが、豊田徹也さんの『アンダーカレント』の影響から、聴くようになりました。
どちらもおすすめです。
執筆中は歌の入った曲だと一緒に歌ってしまうため(笑)、インストとかノイズっぽいものを聴きます。でも、集中してきたら消すかな〜。
楽天koboほか、各電子書籍ストアでも展開する予定です。というかkoboの方は同時発売できるように準備していたのですが、なにかのエラーになってしまっているようです。問い合わせよう……!
牛野さんの『エバーホワイト』を震えて待とう!
ロスト・イン・カンヴァセイション、刊行します。
どうもみなさん。ご無沙汰しております。王木亡一朗です。
明日10/27に、僕の新刊「ロスト・イン・カンヴァセイション」が発売されます。
これまで書いていきた小説とは、一味違うのかな、と作者は思っております。王木亡一朗オルタナティヴですね。わーい、オルタナ(便乗)。思っているだけで、もしかしたら全然違わないかもしれませんが(笑)。
上に貼ったランディングページに、冒頭の試し読みがあります。あとは、本編から抜粋した部分もあります。
BiB/i | EPUB Reader on Your Site.
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しかしまぁ、これはどんな小説なのでしょうね。作者にも良く判りません。あらすじはランディングページにあるとおりなのですが、夏休みには主人公のソウイチくんを始め、亜季ちゃん、ジュンくん、あおいちゃん、内山くんは、みんなで遊びます。
学校にある菜園への水やりにかこつけて、ウォーターガンで遊んだりします。
こんなやつですね。
バレル(?)をシュコシュコとして、圧縮空気で打ち出すやつです。僕も子どもの頃、遊びました。テレビで宣伝していた本物(?)は、まぁまぁ良い値段がしたので、なんかパチもんもいたいな安いやつしか買ってもらえなかった記憶があります。砂場の横の水道で水を入れていたので、砂が詰まってすぐダメになってしまいました(笑)。あとは、みんなで星座の観測をしたりと、楽しく遊びます。
ということで、とても楽しい小説かもしれません(^ ^)
では、楽しい曲を!
タイトル誤字ってるのは、すぐに直します(汗)!
クッソw
きっと楽しい小説です。
とある事件が起こるまでは、ね。
真夏のピークが去った
おっと。
こちらでお会いするのは、またまた随分とお久しぶりですね。王木亡一朗です。
朝晩はもう涼しくなり始めていて、まだまだ暑いものの真夏のピークはすっかり去ってしまいましたね。
完全に出遅れてしまいましたが、「このセルパブがすごい! 2016年版」にて、「夏の魔物」を取り上げていただきました。しかもランクイン。9位です! ありがとうございます。
去年の夏に出した短編集です。
「異形のモノ」をテーマにした、けれどホラーでもSFでもファンタジーでもない、短編集。
・ライトセーバー(My Sweet Little Fairy)
・ヘレン、ゲッタウェイ・フロム・ミー、ユー・ビッチ!(Helen,Get Away From Me,You Bitch!)
・サイクロプス(Cycrupse)
・TVゴースト(Since You Were Born)
・夏の魔物(Individual Summer)
また、これからの季節にはこちらは如何でしょう。掌編小説集です。
もともとは「ツイッター小説」みたいな感じでタイムラインに一文ずつ投稿しておりました。上記の「ライトセーバー(My Sweet Little Fairy)」の主人公「大木くん」が、こちらにも登場します。(一応関連作ということになるのでしょうか)
秋の夜長: (What's the Story)Autumnal Nights? (ライトスタッフ!)
- 作者: 王木亡一朗
- 出版社/メーカー: ライトスタッフ!
- 発売日: 2015/11/29
- メディア: Kindle版
- この商品を含むブログを見る
これは、去年のちょうど今頃、とある長編小説の執筆の息抜きに書いていたものです。で、当の長編小説ですが、何度か出版しようと思ったものの、諸事情がありまして(笑)、うだうだしているうちに書き上がってからもう一年が経とうとしています。
その間に「Our Numbered Days」の連載と刊行をしました。あとnoteの方にちょこちょこ短編を書いたり。
ただ、ここへきて、その長編小説を出版する機運が高まっております!w
新刊出します
— 王木亡一朗 (@OUKI_Bouichirou) 2016年8月23日
この宣言から、もうすでに二週間以上経っていますがw、出します。最後の確認を、と思って作業を進めているのですが、相変わらず誤字などがみつかり、それらを修正しております。また、ランディングページとかプロモーションの仕込みなど、プランを立ててみるとまぁまぁな作業量だったりで……。でも、地道に進めています。
ただ、ここまでくると「新刊出す出す詐欺」みたいになってしまいますね。これじゃ、yoshikiやアクセル・ローズのことを笑えないよ……。
ちなみに、タイトルは「ロスト・イン・カンバセイション」です。あらすじを簡単にご紹介しますと‥‥‥
相沢総一郎くん。長ったらしい名前だから、友達はみんな、ソウイチって呼んでいます。
小学六年生への進級を控えた春休み、ソウイチくんは駅で変な人に絡まれている同級生の女の子を助けます。その子の名前は紗田亜季ちゃん。なんと芸能人です。そして新学期から同じクラスになりました。
事件がきっかけで話すようになったソウイチくんと亜季ちゃんは仲良くなり、同じクラスのジュンくん、内山くん、あおいちゃんと一緒に遊ぶようになります。夏休みには、学校の菜園に水やりに行ったり、星を見に行ったり。
けれど、その夏休みも半ばを過ぎたころ。とてもとても悲しい事件が起きてしまいます。
ウダウダしていた理由の一つに、今回の作品が(僕としては)珍しく、少しだけグロ描写がありまして……、お話自体もどちらかというと暗いお話というか。直後に「アワナン(Our Numbered Days)」を書き始めて、そっちを先に世に出したので、公開するタイミングを見失いました。でも、まぁ、いろいろ吹っ切れたので出します(笑)
これから少しずつ情報を小出しにしながら、ここに書いていきたいと思いまーす!
ということで、久々に………。
震えて待て!
フジファブリック (Fujifabric) - 若者のすべて(Wakamono No Subete)
読木読一朗 第三読「団地のナナコさん」〜夏100より〜
「セルフパブリッシング夏の100冊 2016」の中から、僕が読んだ作品を僭越ながら勝手に語るシリーズです。
第三回は、こちら。
昭和50年代の真っただ中、国鉄民営化前夜の夏。
逆上がりが苦手だった小学4年生の私は、引っ越してきた国鉄職員団地で、孤独で知的で「猫になりたい」と願う不思議な少女と出会った。
生と死。
信頼と裏切り。
無邪気で残酷だった、あの少年時代の思い出は果たして何だったのだろうか?
「現代の怪談・民話」をコンセプトに紡がれる物語の結末には何が待っているのか?
「鉄道のまち」新潟県・新津を舞台にした、昭和と平成の2つの時代をつなぐ「祈り」と「救い」のファンタジー中編小説。
ものぐさなので、あまり実家に帰らない。一年に一回帰れば良いほうだ。と言いつつ、最後に帰ったのは確か2014年5月だっただろうか。
帰るたびに何かが新しくできていたり、何かがなくなっていたりする。寂しい、とはあまり思わないが、自分の知っていた景色がなくなってしまうことに対して、思うところはある。(寂しいです)
最近だと、市営球場がビッグスワンみたいになっていたのには驚いた。中学時代、塾に行くために自転車で通っていた道に、それはあった。真面目に勉強する方ではなかったのに、先に通っていた同級生が、「二中の可愛い女の子がいる」というので、その口車に乗せられて入ったのだ。(可愛い子はいなかった)
北海道でいえば大泉洋、青森でいえば伊奈かっぺい、といったローカルタレントも、僕が住んでいた頃は、鈴木えーもん(もしくはお笑い集団NAMARA)だったが、今はヤンさんという人らしい。
そもそも、僕の故郷は2005年に市町村合併で、新潟市に取り込まれてしまった。だから、僕の生まれ育った「新津市」という名前は、今はもうない。
「団地のナナコさん」は、そんな僕の良く知る新津市が舞台の物語だ。時代設定は、昭和五十年代。僕が生まれる前だが、読んでいくうちに知っている景色が出てきた。そのうちのいくつかは、今はもうない景色たちだ。
建物や道、そして名前。残るものもあれば、消えていくものもある。当然だ。むしろ消えていくからこそ、新しいものが生まれてくる。そうして前に進んでいく。そうやって掴んでいったものばかりなのだ。でも、そんな風に手放していったものを、忘れないでいることは、難しい。手放したもののことは、大抵、憶えてやしないのだ。
ただ、子供の頃の記憶は、ふとしたことで思い出す。思い出せるということは、忘れてはいないということだと、僕は思う。なにもかも思い出せなくなったときが、本当に忘れてしまったときだ。そして、それは死に近い。
消えていってしまったものが尊いわけではないだろう。また、残ったものが偉いわけでもないだろう。僕は、この物語の中で、消えていったものと残ったものを読みながら、自分の周りで消えていったものと残ったものに、想いを馳せた。
季節的にもぴったりなので、是非。
読木読一朗 第二読「サツジンパンプキンヘッド」〜夏100より〜
「セルフパブリッシング夏の100冊 2016」の中から、僕が読んだ作品を僭越ながら勝手に語るシリーズです。
第二回は、こちら。
第三次世界大戦からおよそ500年。
あらゆる生命が失われた世界で、人類はわずかに、シェルターの中で生き続けていた。
その閉鎖空間の中で、おぞましい連続殺人が発生する。
被害者たちに共通していたのはただ一つ「誰かから恨まれていた」ということだけ。
人々は、こう噂した。
「パンプキンヘッドという神様が、正義のために殺人をしてくれてるのだ」
パンプキンヘッドとは何者なのか、そして、その背後に隠された悪意とは——
SFの世界観で繰り広げられる長篇サスペンス小説。
※残酷な描写が含まれます。
基本的に、オカルトの類は信じないほうだ。似非科学や幽霊の類はもちろんのこと、葬式や墓参りまで。ただ、フィクションで楽しむのは好きだ。ちょっと大仰になってしまうが、そこには人間の想像力というか、願いとか祈り、みたいなものがあると感じる。といっても、そう考えるようになったのは二十歳を少し超えてからのことだ。
今のズボラな性格からは自分でも想像できないが、子供の頃は潔癖症だった。他人が口を付けたものは絶対に食べられなかった。ものすごく汚いと感じていた。自分の親に対してさえ、そう感じていた。
それに、お化けが怖かった。幽霊も怖かった。子供なのだから当たり前なのだが、ちょっと度を越していたようだ。両親も呆れ半分、心配半分だったように思う。
さすがにこのままではマズイと感じたのだろう。折に触れて、矯正された記憶がおぼろげながらある。もちろん、暴力的なものではない。その甲斐あってか、小学校に上がる前までには、そういった面に関しては、なんとか平均的になった。
今思うと、少し不思議だ。一体何がそんなに怖かったのだろう。たとえば、身体的な危険に対する恐怖というのは、後天的なものはもちろん、本能的に備えてい ると思う。けれど、幽霊が怖い、というのは、どこからきた恐怖なのだろう。自然と学んでいくものなのだろうか。それとも、これも本能的なものなのだろう か。もし、本能的なものだとしたら、それは逆説的に幽霊の存在を証明していることになるのだろうか。
色々と書いたが、「サツジンパンプキンヘッド」はSFだ。強いて分類するなら、ディストピアものだろうか。遠い未来、閉鎖されたシェルター(イメージ的にはコロニーの方が近いだろうか)の中で、殺人事件が起こる。そして、それはパンプキンヘッドという神様が行っているという。遠い未来の世界で、現代よりも科学の発展している世界でも、人々はそんなオカルトを口にしている。
僕は小説を読んで感じる、皮算さんの人間に対する視線が好きだ。それは以前に読んだ「魔法中年!」でも感じられた。優しくも、ときにシニカル。そして今作では、身体的にも精神的にも残酷で凄惨な物語が綴られる。SFで、サスペンスで、ホラーの要素もあるのに、読後感はなんともいえない趣がある。考えさせられるからだ。
遠い未来の話だが、神社などが出てくる世界観も面白かった。どれだけ科学が発展しても、オカルトの類はなくなりはしないのだろう。良いか悪いかではなく、それが人間なのかもしれない、と思った。
ありきたりな言葉だけれど、人間が一番怖い。子供の頃の自分に教えてあげたいけれど、さすがに大人げないか。
読木読一朗 第一読「フリーズドライ」〜夏100より〜
「セルフパブリッシング夏の100冊 2016」の中から、僕が読んだ作品を僭越ながら勝手に語るシリーズです。
第一回は、こちら。
そう感じる。
――いつの時も、それが僕の大問題。
18歳の祥平は中学生の時に受けた傷をきっかけに無気力のかたまりとなったひきこもり。
そんな彼をなかば強引に外へ連れ出したのは『拝み屋』の伯父だった。
オカルト性ゼロの青春小説。長さは400字詰め原稿用紙で80枚程度です。
若い時には、それなりに万能感があった。その気になればなんだって出来るし、どこへだって行けると思っていた。それが、歳を重ねるにつれ、だんだんと勘違いだと気づいてくる。挫折、なんて大げさなものではない。むしろ、そっちのほうが良いくらいだ。
何もできないしどこへも行けないのは、万能感の裏返しでもある。
「その気になれば、なんだって出来るし、どこへだって行ける」
けれど、することがないし、行く場所がない。やるべきこともなければ、行くべき場所もない。縛られていない、自由な状態とも言えるかもしれない。でもそれゆえに、何もできない。
そして、その気になれば、というのは「それなりの労力を払えば」ということで、そんな労力を払ってまで、したくもないし行きたくもない、と気づいてしまうのだ。
たとえば、1000万円ほどあれば、いろいろなものが買える。多くの人にとって、その気になればどうとでもなる金額だろう。そんなことはない、と思うだろうか。でも、10年、もしくは20年かければ、無理な話ではない。実際、世の中には、いわゆるお金持ちでなくとも、そのくらいの買い物をする人はいる。
ただ、人生それだけではない。一切脇目も振らず、それだけにお金と時間を費やすことは難しい。家族や恋人、それなりの生活。それらを放棄してまで、欲しくはないのだ。
雨之森散策「フリーズドライ」は、中学時代のとある出来事がきっかけで、無能感に苛まれている18歳の少年の物語だ。劇的なことが起こるわけではない。怪しげな活動を行っている叔父に誘われ、彼は狭くはあるが、確実に外の世界へと連れ出される。
彼は、自分の人生を「とりあえず保留」としたまま過ごしている。そして、自分にとって万能感の象徴だったものが、ただの物体に過ぎないと気づき、万能感そのものが、幻想だったことに気づく。いや、とっくに気付いていたことを、思い出すのだ。
ラストの主人公のセリフに、僕は心を奪われた。月並みな表現だけれど、後ろから頭をガツンと殴られたような衝撃だった。
短い物語だけれど、ゆっくりと読んでみて欲しいと思う。
夏の匂い
どうやら、ようやく梅雨が明けたらしい。僕の髪はくせっ毛なので、湿度の高いこの時期は昔から本当に嫌だった。クリンクリンというか、キューピーちゃんみたいなる。
ここのところ、涼しい日々が続いていたけれど、これから本格的に暑くなっていくのだろうか。梅雨明けは嬉しいけれど、作業部屋にはエアコンがないので、少し不安だ。
この時期の、日が沈むか沈まないかくらいの時間帯の匂いが好きだ。僕にとって、この匂いが夏の匂いだと感じる。照りつけていた太陽が弱まって、アスファルトに蓄積した熱の余韻と、ほんのりと湿った空気の匂い。この匂いを嗅ぐと、子供の頃に行った夏祭りの情景が浮かんでくる。あぁ、夏の匂いだな、と思う。
ちょっと前に書いた長編小説の手直しを最近している。確か初稿はもう去年の10月くらいには上がっていたと思う。その頃はツイッターで『秋の夜長』という掌編を発表していた。この長編の息抜きに書いていたんだった。
第1章が、ちょうど夏休みの場面なので、読み直すには良い時期だった。物語自体は、とても暗いものだけれど。どうしてこんな物語を書いてしまったのだろうか。思い浮かんでしまったから、外に出した、というだけだろうか。
そういえば、こんな本が出ています。
ひとはなぜ「書く」のか?
書くひとたちに直撃取材をしたインタビュー&対談集。
アイヌから利己的な遺伝子まで、思わぬほうへ話題が転がっていく。
ものを書くひとびとの情念を感じる一冊。
牛野小雪さんと僕の対談(?)が載っています。牛野さんとは同い年で、実は密かに意識してました。最初は「リレー小説とかどうですか?」というお話だったのですが、僕らは全然作風も違うので(笑)、お互いに様子を見ながら何日かに分けてネット上でお話をしました。お話をしてみると、やっぱり僕らは真逆で、正反対で、でもそれが、とっても面白くて、柄にもなく熱い対談になったと思います。