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昨日観た映画。

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 今回はレンタルDVDです。今更ながら、是枝監督の「そして父になる」を観ました。


映画『そして父になる』予告編 - YouTube

 

 子供を取り違えられた二つの家庭のお話。

 一流企業に勤める裕福な家庭(福山雅治尾野真千子)と、地方の電気屋の家庭(リリー フランキー&真木よう子)。それぞれの家庭の描写は、わかりやすさを追求した為か、ステレオタイプな印象を受けたけれど、物語の主題がそこにあるわけではないと思うので、あまり気にならなかったです。

「僕にしかできない仕事がある」という福山と、「父親はどれくらいの時間を子供と過ごしたかだ」という、リリー フランキー。

 僕は、どちらも間違っていないと思う。自分の人生を生きている父親と、子供たちと沢山の時間を過ごしてくれている父親。愛情をどう示すかは人それぞれだ。いわゆる家族サービスで、自分の愛情を示そうと思わなくても、間違いじゃない。

 映画の感想で自分語りをするのもダサいんだけど、僕は小学校高学年くらいから、家族旅行が嫌で嫌で仕方がなかった(それ以前は、あまり自意識がなかった)。普段家にいない父が、そのギャップを埋めようとしているようで、それも気に食わなかった。自分の友達や趣味の時間が奪われるのが嫌だったし、些細な金額のことで、父と母が諍いを起こすのも嫌だった。

 ただ当時から、仕事をしている父のことは尊敬というか畏怖はしていた。自分でも仕事で稼ぐようになって、よりそう思うようになった。

 

 まぁ、自分の話はいいか。

 

 最後、デジカメのメモリーに入っていたある写真を観て、福山が泣くシーンは、思わずこちらも泣いてしまった。

 僕の解釈だけれど、あのシーンは、「親子と言えど別々の人間である」ということに思い至ったシーンだったと思う。というか、ほとんどの親子問題って、そのことを受け入れられないから起こっているのではと想像する。知らんけど。

 受け売りだけれど、「自分の子供が可愛い、大切」というのは遺伝子保存の観点からみれば、「自分の命が可愛い、大切」というのとほとんど同じ意味で、「我が身可愛さ」という、ともすればエゴと同じ。(良くも悪くも)

 子供の取り違えに端を発したお話だったけれど、最終的には血とか環境とか関係なく、親子とは? というようなレベルのお話になっていて、「親子と言えど別々の人間である」から「別々の人間と言えど親子である」というさらに上(?)へといくラストの展開は圧巻でした。

 あとタイトルが「そして父になる」ですが、英語タイトルが「LIKE FATHER,LIKE SON」というのも唸らされますね。やっぱり真木よう子さん美人でした。