ベイビーアイラブユー
こんなことを書くのもなんだが、僕は今、俗に言う新婚生活の真っ只中なのである。ホヤホヤもホヤホヤ、まだ一緒に暮らして二週間。しかし、もう二度も奥さんを泣かせてしまった。しかも、些細なことで。
まったく、ままならないモノだ、と思う。でも、原因は僕にあって、まぁ、人に話すと100%、僕が悪いと言われるだろう。
一度目は、彼女の作ったハンバーグに、意見したときである。ハンバーグとは、ひき肉とタマネギとパン粉とタマネギの練り物をフライパンで焼いた料理であるが、このタマネギ、みじん切りしたものを炒めて混ぜるのが一般的なものだと、僕は思うのだが、彼女の作ったハンバーグが、タマネギを炒めていなかったのである。
「ねえ、これさ、タマネギって炒めなかった?」と僕が訊ねると、「厳しすぎるよぉ」と言って泣いてしまった。
確かに、炒めていないタマネギの入ったハンバーグに違和感を感じたから発した言葉ではあるが、別にそれを咎めるような気はなく、ただ確認としてきいたつもりだった。しかし、彼女は泣いてしまった。
実は、一緒に暮らし始める前、一人暮らしの僕の部屋に彼女が来たときにも、ハンバーグを作ってくれたことがあった。その時も、タマネギを炒めていなかったので、それとなく指摘した。その時彼女は、「ウチでは炒めてなかった」と言っていたけれど、食感的にも味的にも、炒めた方が美味しいということを伝えた。
そもそも、僕の奥さんは、あまり料理が得意ではない。
付き合っているとき、バレンタインデーに手作りのチーズケーキを貰った。一年目はブルーベリーのケーキで、それは全くと言っていいほど味がしなかった。
「ちゃんとレシピ通りに、砂糖とか入れたのにな」と言っていたけれど、全く味のしないケーキを頬張りながら、きっと単位を間違えたか0を一つ見落としたのだな、と僕は思った。
二年目のバレンタインデーでは、イチゴのチーズケーキを貰った。去年のリベンジとも言える力作で、甘く煮たイチゴが上に乗っている豪華仕様。早速、頬張ってみると、それはもうこの世のもとは言えない甘さで、どんな甘党でも悶絶し、10年くらいは甘いものを食べなくなるんじゃなかろうか、というくらい甘かった。
「これ、甘過ぎない?」と僕が言うと、「うわ、不味い……。残して良いよ」と彼女は言った。
「味見とかしないの?」と訊ねると、「一応してるけれど、作っているうちに色々と足すから……」とごにょごにょと言い出し、「それが原因だよ」とは言わないものの、才能というかセンスというか、料理には、材料とか調味料とかの分量感覚、大げさに言えば、理系的センス、みたいなものが必要なのかもな、と思った次第である。
そんな文句ばかり言っている僕だが、料理をしないのかと言われれば、一人暮らしの頃は殆ど自炊していた。休日には凝った料理にもチャレンジしていた。とはいっても、多分に趣味的な側面のつよいそれは、やたら高い調味料や材料を駆使する、普段から倹約している主婦の皆様には頭のあがらない、コストパフォーマンスの悪いものだった。味付けも、濃い。これは、僕が新潟出身で、寒い地方の人間はやたらと何でも塩辛くしてしまう習性があるのだけれども、それ故に、味がしないということはなく、まぁまぁうまくいっていた方だと思っている。
そして昨夜、僕の奥さんはカルボナーラに挑戦した。彼女は一緒に暮らすようになってから、色々な料理に挑戦している。元々のレパートリーもあったと思うが、新生活を機に、料理上手になると意気込み、毎晩毎晩、本当に色々な料理に挑戦している。その上、僕のお弁当も作ってくれているのだ。本当に頭が上がらない。
僕が帰って来た時、ちょうどパスタを茹で上げたところで、フライパンの中で、ソースに絡ませていた。一服してキッチンに戻った僕に、彼女が一言「どうしよう、味がしない……」またか、と僕は思ったけど、「貸して」といってフライパンを握る。粉チーズと塩を、目分量だが、全体の量を見て、入れる。
味見をしてみると、毎度のことながら、少々塩辛いが、全く味がしないよりはマシになった。彼女は、僕が塩や粉チーズを振るっている横で、「ちょっと、こぼさないでよ」などと言っていたが、僕は「君の料理には、勢いが足りないんだよ。だから味がしなかったり、生焼けだったりするんだ」と応戦する。しかし彼女も食い下がって「こっちは片付けのこととか考えながら作ってるんだから」と言う。尤もだし、大変立派だとも思う。けれど、味のしないカルボナーラを食べるわけにはいかないのだ。
フライパンの中をよく見てみると、何やらスクランブルエッグのようなものが散在している。
「これはなに?」
「卵。なんか混ぜたらそうなっちゃった」
「えー。あのさ、僕も何回か作ったことあるけれど、カルボナーラって卵黄を使うんじゃなかったっけ?」
「でも、ネットでみたレシピには、白身も使うって書いてあったんだもん」
「うん。というかね、卵って、一緒に混ぜるんじゃなくて、茹で上げたパスタとソースを先に混ぜて、皿に盛る直前に入れて、パスタの余熱で固まるというか粘度が増すものなんじゃないの?」
「だって、そんなこと書いてなかったもん」
まったく、やれやれである。
こんな話を職場でしていると、「大木くんって、見た目によらす結構酷いねーw」とか「意外と亭主関白なんだね」などと言われる。そうなんですかね〜w、などと笑っているが、僕自身は、本来言いたいことが10あるうちの3くらいしか言っていないのだ。これは、僕は優しさだと思っている。けれど、偶然今日電話で話した母親には、笑われて呆れられ、そうじゃないと言われた。
「あのね、些細なことでもね、そういうことって一生憶えているものよ」
「そうなの? っていうか、そういうことあった?」
「うん。結局殆ど忘れるけれどね。でも、一生憶えていてやろう、って思ったことはたくさんあるよ」
そういうものか、と僕は思った。そして、そういうものなんだろう。
「まぁ、でも、あんたのそういうところ、ホントお父さんにそっくりだわ」そう言って母は笑ったけれど、僕としてはちょっと複雑だ。
僕の父と母は離婚している。といっても、僕が23歳の時で、とっくに自立していたから、あまり影響はなかった。彼らが離婚をして夫婦関係を解消しても、僕と親子の縁が切れるわけではない。中学生くらいの頃に離婚されていたら、グレてパンクロッカーにでもなっていたかもしれないが、とっくに成人していたのだ。この話は、長くなりそうだから、また別の機会にしよう。
「僕とお父さんって、やっぱり似てる?」
「似てるも何も殆ど同じ。DNAって不思議ね〜」
笑って話しているから、きっと悪気はないのだろう。でも、僕の母は、僕そっくりなその父と離婚しているのだ。
だから、ではないけれど、僕は少し気をつけようと思う。奥さんに対して、もうちょっと思いやりを持とうと思う。(思いやっていなかったわけではないのだけれど)
そんなことを思いながら、自分の部屋から奥さんのいるリビングへ向かう。
「あのさ、明日の夕飯って何?」
「カルボナーラ!」
「え?」
「リベンジするの。材料もまだ余ってるし」
「さいですか」
明日はきっと上手になっているだろう。まったく健気なベイビーアイラブユー。
くるり Baby I Love You(Live at CDJ06 07) - YouTube
ちなみに二度目のことは書かないでおこう。些細なことだしね。