森博嗣さんの「サイタxサイタ」という本を読みました。
ミステリィ小説は、森博嗣さんの作品くらいしか読まないので、ミステリィとして、どーだこーだということは僕にはわかりませんが、文体(?)というか、文章の言葉遣いが、なんだか軽くなったというか、柔らかくなったな、という印象を受けました。読み手側(つまり僕)の変化かもしれません。
「小説はビジネスとして書いている」と仰っている方なので、これまではプロとしての厳密さやサービス精神などが、盛り込まれていたのだと想像します。ただ、最近は、力を抜いて(手を抜くという意味ではなく)書かれているのかな、と思うときがあります。あくまで、僕の感想ですが。
力を抜く、で思い出したのが、何かの雑誌で読んだケンドーコバヤシさんという、お笑い芸人の方のインタビューで、「自分が売れるようになったのは手を抜くようになったからだ(要約)」という言葉です。若い頃は、色々と考えて拘ってストイックにお笑いを追求していたけれど、ある時を境に、そういうのを一切やめた。そうしたら、自然と求められるようになった、と。
僕が憶えているのは、ここまでですが、世の中にはこういう例って少なからずあって、例えば、デビュー前は尖っていたロックバンドも、売れるにしたがって(売れようと思ったからこそ?)、段々と薄まっていく。映画にしか出ない俳優だったのに、テレビドラマやバラエティ、果ては洗剤のCMにまで出てしまう、など。(例えが貧相だなー)
そうすると、初期の頃からのファン(原理主義者?)はやはり違和感を抱いてしまうものです(多分)。「あいつらは日和った」「金に目がくらんだ」「もしこれを最初の一冊として手に取ったら、作者の凄さが伝わらない」などなど。
どちらが良いか悪いかは一概には決められませんし、僕にはわかりませんが、要は力んでいるかいないかの違いなだけで、シチュエーションにもよるのかなと思います。
力を抜く、ということを肯定的に捉えようとする時によく出てくる例えが武道(合気道とか?)ですが、重いものを持ち上げたり、ひっくり返したりする時には力む必要があるわけで、力むことが一様に悪いとは思いません。力持ちは凄いと思います。
ただ、僕が好きなのは、そんな時でも道具と頭を使って、力まずに重いものを持ち上げたりひっくり返したりする人なのです。(だから何だ?)
ということで、本の感想のはずが、脱線してしまいましたね。文章の脱線事故です。あちらの路線で振替輸送を行っているので、ぜひご利用ください。復旧見込みは今のところ未定です。
力を抜く為には、先ず力を入れないといけませんよね。
しかし、なんというお茶の濁し方でしょう〜。
アデュー。