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たとえばこんなアポカリプス

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 牛野小雪著「聖者の行進」を読んだ。

 以上、終わり。

 

町へ出るトンネルの出口で美男美女の二人が殺された
無軌道に犯行を重ねるまさやんと追いかけるタナカ
しかしそんな事とは別に破滅の車輪は回り始めていた

 体育館で穴掘りの仕事を始めたタクヤ
ユリの手を引きながら焼け跡を歩くナツミ
二人はそれぞれ巨人と神の言葉を聞く

 

 で良いはずもなく感想なのだが、一言で言えばヤバイ小説だった。そうか彼は今ここにいるのか、と同い年なので色々と意識している僕は思った。正確に言えば、これを書いたときの彼なので、今ではなく既に過去なのだが。

 以前、ゆきなさんの「もの書く人々」という本で対談的なことをしたときに、僕と牛野さんは同い年であり性別も同じなのだけれど、ことごとく対照的というか、面白いほどに真逆(変な言葉)、つまりは正反対(こっちの方がスマートだけどインパクトは薄いよね)なのであったが、小説のある部分もそうだったことが改めて判った。

 牛野作品を全て読んだワケではないのだが、彼の小説の主人公ないし登場人物たちは比較的よく移動をする。どこから来てどこへ行くのか判らずとも、とにかく前に進むのである。文字通り旅をする作品もあるし、月まで行ったりする作品もある。それらが前進なのかは定かではないが、「向いている方が前」だとすれば、やはりそれは前進だ。

 方や、僕はといえば、基本的にずっと同じところにいる。そこでずっと足踏みをしてる。同じところで足踏みしているうちに、周りの景色の方が変わっていく。少し格好つければ、その場でステップを踏んでいる。ステップを踏み続けていれば、次第に上達し、少しはマシなダンスが踊れるだろう、的な。基本的にはどこにも行かず(行けず)、ただ見えている景色が違うこと(視界には入っていたけれど、今まで意識していなかったっこと)に気づく、というパターンだ。

 また、以前から彼の文体には独特のものがあるな、と薄ぼんやりと思っていたけれど言葉に出来なかったのだが、『聖者の行進』を読んで、もしかしたらこういうことなのかな、と思ったことがある。今作は(とくに前半)、視点の移動が度々あって、本格ミステリなら読者から「アンフェアだ!」と言われかねない感じなのだけれど(知らないけど)、それが良い読み心地とスピード感を与えてくれる。リーダビリティも悪くない。三人称なのだけれど、例えるなら人称に小数点がついているというか。3.1人称というか、そういった感じ。未分化的というか、共感覚的なのかなぁ(言葉に出来てないやん)。

 話を本編に戻すが、これは現代の、というか新しいアポカリプスだ。少年よ神話になれ、と言われたので神話になったよ、といった具合である(ん?)。一応「まさやん」という人物が主人公らしいが、どちらかというと狂言回し、ないしはトリックスターである。神話になれ、というか最後は石油になるんだけど。あ、これネタバレかな。まぁ、良いか。とにかく読めよ。俺は読んだ。

 

 

もの書く人々

もの書く人々

 

 


たとえばこんなラヴ・ソング_1983.06.25,26(渋谷公会堂 ライブ・テイク)

石油に火をつけろ!

ライト・マイ・ファイヤー!

からの〜、ジ・エンド!

アポカリプス・ナ〜ウ!

 ということで一応ドアーズ貼ったのだけれど、牛野作品には「ドアを作る会社」というのが度々出てくる。偶然か、それとも……。


The Doors - The End (original)