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花嫁の指輪(とiPad mini)

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 これは僕のiPad miniである。数年前に買ったものだが、今や見るも無残なことになってしまっている。こんな状態でも、電源はつくし、タッチスクリーンも正常に機能する。でも、まともに使えるとは言えない。

 このiPad miniWi-Fiモデルで、外での通信は基本的にはできない(やろうと思えば方法はあるが)。なので、もっぱら家用だ。パソコンとスマホの間の存在だが、家中どこでも持ち運べて、スマホより大きい画面の端末というのは(無ければ無いで済むのだが、あるとあるで)、意外にも重宝した。

 そんなわけで、ベッドやソファに寝転がってYouTubeを見たり、ウェブを見たり、小説や漫画を読んだりもした。特に漫画は、この大きさが丁度良い。また、すでに限界を迎えている僕の本棚をこれ以上圧迫しなくて済むので、電子書籍で手に入るのは、とても助かっていた。

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(俺の本棚)

 どうしてこんなことになってしまったのか。話は数ヶ月前に遡るのだが、いつもの様に、僕はベッドに寝転んでYouTubeを見ていた。そのうちに少し眠たくなってきたので、仰向けのまま自分のお腹の上にiPad miniを置いて、目を閉じた。そんな感じにウトウトしていると、奥様が寝室に入ってきて、僕の隣に寝た。休日だったので、昼寝でもしに来たのだろう。僕は横にずれて、彼女のためのスペースを空けた。

 そうこうしているうちに、彼女は眠ったようだった。僕もだんだんと瞼が重くなってきて、心地良い眠りに誘われそうになった……、その時である!

 彼女が寝返りを打った。そしてその勢いのまま放り出された左手は、僕のお腹に直撃した。いや、正確には僕のお腹の上にあった、iPad miniに直撃したのだ。

 それほど大げさな音がしたわけではない。ただ、ほんの小さく“コツン”という様な音がしたのが、妙に気になった。突然の裏拳の衝撃で、さっきまで僕の周りに漂っていた眠りへの誘いは霧散してしまった。気を取りなおして、またYouTubeでも見るか、と思い、iPad miniを手にした、その時……! そう、事件はすでに起こっていたのだ。会議室ではなく、寝室で……!

 一瞬、何が起きたのか判らなかった。ただ、ガラスが割れている。上の写真だとすでにバキバキだが、この時は放射状にヒビが入っている状態だった。しかし、そのときのショックは大きかった。脳裏には、このiPad miniとの思い出が走馬灯の様に駆け巡った。映画「アルマゲドン」のアレみたいだった。この現実を受け入れたくなくて、思わず目を閉じたかった。I wanna close my eyes..... R.I.P

「えっ、ウソ……」

「何……?」

「いや、君、手、怪我しなかった?」

「?」

「今の寝返りで、ほら、これ……、割れたんだけど」

「アハハ😀」

 サイコパスか……? なぜ“アハハ”なのだ……? いや、人間、想定外のことが起こると笑ってしまうこともある。それは判る。でもでも……、俺のiPad miniがぁぁぁぁぁぁぁ!

 しかし、画面に使われているのはガラスである。腐ってもガラスだ。手が当たっただけで割れるものだろうか。なにせ、ガラスは鉄より硬いのだ。そんなことはありえない筈なのだ。

 僕はもう一度、彼女の手に怪我がないかを確かめた。彼女が寝返りを打ってキメてきた裏拳は左手だった。そう、その左手には、小さなダイヤモンドのついた指輪がはめられていた。

 これか……。そうだ。ダイヤモンドは、鉄よりもガラスよりも硬い。数多の怪盗たちだって、ダイヤモンドカッターがついたあのコンパスみたいな道具で、ガラスを丸く切っていたでは無いか。

 僕は半ば呆然としたまま、出来立てのガラスのヒビを撫でた。ともに過ごした、無為だけれども忘れがたい日々を思い返しながら。そんなことをしていたら、見る見る間にパキパキと音を立てて崩れ去っていった。まさに砂上の楼閣。house of cards.

 そして、この指輪を買った時のことを思い返した。

 彼女と結婚をする前、婚約指輪は別にいらないよね、という話になっていた。さすがに結婚指輪は必要だと思うけれど、それにお金を使うくらいなら、もっと二人の生活のための何かを買ったほうがいいよね、と。そう言いだしたのは僕だ。彼女はいくらか食い下がった。「友達はみんな買ってもらっている、私だけないのはちょっと嫌だ」というような内容だった。それに対して僕は、「そんな俗っぽい見栄の張り合いみたいのはくだらないよ」といってそれを封殺した(ヒドイな)。

 それからしばらくして、結婚したあとだったが、彼女は突然「やっぱり婚約指輪が欲しい」と言いだした。一体何のタイミングだったのだろう。それでも僕は「今まで無くて平気だったんだから、別にいまさら必要無いでしょ」と言った。つくづくヒドイ男である。けれど、彼女はこの時は折れなかった。どうしても欲しい、と言うのだ。子供の様に駄々をこねているようにも見えた。でも、僕には価値の判らないものでも、彼女にとっては、相応の価値のあるものなのだろう。それこそ、子供の頃から、何かしらの憧れがあったのかもしれない。

 僕は、自分の子供の頃を思い出した。そう、子供の頃の僕にも“どうしても欲しいもの”が沢山あった。今思い返してみれば、くだらないものが多い。ただのオモチャやゲームだった。買ってもらえたり、もらえなかったりした。それでも、“どうしても欲しいもの”というのはあって、それが手に入らないと、何だか少し自分の存在が揺らぐような思いがしたものだ。大げさかもしれないけれど。

 まぁ、別にお金が無いわけではない(ないけど)。デヴィ夫人叶姉妹が着けているような高価なものは買えないけれど、それなりの、小市民的な、僕らにふさわしいものだったら買えるのだ。もう子供じゃないんだよ、と悔しい思いをしたあの日の僕が、そう言ったような気がした。

 4℃でもティファニィでも、なんでも来い! どんと来い! どすこい! と言った感じに鼻息荒く僕は彼女の手を引いて街に繰り出した。でも、彼女はこの日のために、自分でお気に入りのお店を探していた。確か、横浜にあるオーダーメイドのアクセサリーのお店だった。オーダーメイドといっても、ゼロから作るわけではない。いろいろな形や色を自分で選ぶ、というだけのものだ。有名なブランドではないが、クオリティはそこそこ高いようだった。値段も、僕が思っていたより、覚悟していたより、幾分安かった。

 ここまで思い返して、思い出した。そう、このiPad miniも、そのときに買ったのだ。思っていたよりも安く済んだので(笑)、思い切って買ったのだ。

iPadなんて、ただのでかいiPhoneでしょ」少なからず、僕はそう思っていた。iPadでしか出来ないことなんて、ほとんどない。でも、ちょっとは気になっていた。あるとちょっと便利かもな、と薄々思ってもいた。

 そう、“ただのデカいiPhone”だ。けれど、iPhoneが大きい、というだけのことが、これほど価値があるのか、と思い知らされた。もちろん端から見れば、大したことではない。なければ無いで、それほど困ることもない。けれど、この「大したことでは無いけれど、ちょっと良い」という価値は、手にしてみると、とても貴重だと感じた。

 近頃、「生産性」という言葉が、いくらか話題になっている(ん?)。効率化、合理化の名の下に(あれ? 社会?)、いろいろな無駄を省くことが、半ば自動的に正当化されている。もちろん、ムリムダムラはないに越したことは無いだろう。けれど、一体何を持って、ムリムダムラとするのか。その基準は一概には言えないことも少なくない。

 僕にとって、iPad miniも指輪も、特に必要なものではなかった。でも、価値はあったのだ。そして、僕にとって価値があると思えないものでも、誰かにとっては、価値のあるものなのかもしれない。きっと、世の中には、そういうものが、沢山ある。

(なんだか当たり前のことしか書いてない新書みたいになってきたぞ……?)

 

 しかし、その指輪に画面を割られてしまうとは、少々皮肉だ。でも、別に良い。

 なぜ、こんなことを今更書いているかというと、先日とある事情(王木レディオ)でクローゼットを整理していたら、この本が出てきたからだ。

花嫁の指輪 (角川文庫)

花嫁の指輪 (角川文庫)

 

  わりに好きな短編集で、二十歳くらいのころによく読んでいた。改題される前は、「放埓の人」というタイトルだったらしい。年上の友人から、その人のエピソードと共に勧められた。「花嫁の指輪」というタイトルにちなんだ、小気味良いエピソードだ。僕はその人に少し憧れていたので、僕も僕なりの「花嫁の指輪」エピソードがあったら良いなぁ、と思っていたのだが、いやはや、こんな毒にも薬にもならないエピソードだ。ただ、良い小説なので、勝手気ままかもしれないが、この場を借りて、オススメしたい。