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読木読一朗 第二読「サツジンパンプキンヘッド」〜夏100より〜

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「セルフパブリッシング夏の100冊 2016」の中から、僕が読んだ作品を僭越ながら勝手に語るシリーズです。

 第二回は、こちら。

サツジンパンプキンヘッド

サツジンパンプキンヘッド

 

第三次世界大戦からおよそ500年。
あらゆる生命が失われた世界で、人類はわずかに、シェルターの中で生き続けていた。

その閉鎖空間の中で、おぞましい連続殺人が発生する。
被害者たちに共通していたのはただ一つ「誰かから恨まれていた」ということだけ。
人々は、こう噂した。
「パンプキンヘッドという神様が、正義のために殺人をしてくれてるのだ」
パンプキンヘッドとは何者なのか、そして、その背後に隠された悪意とは——

SFの世界観で繰り広げられる長篇サスペンス小説。

※残酷な描写が含まれます。

 

  基本的に、オカルトの類は信じないほうだ。似非科学や幽霊の類はもちろんのこと、葬式や墓参りまで。ただ、フィクションで楽しむのは好きだ。ちょっと大仰になってしまうが、そこには人間の想像力というか、願いとか祈り、みたいなものがあると感じる。といっても、そう考えるようになったのは二十歳を少し超えてからのことだ。

 今のズボラな性格からは自分でも想像できないが、子供の頃は潔癖症だった。他人が口を付けたものは絶対に食べられなかった。ものすごく汚いと感じていた。自分の親に対してさえ、そう感じていた。

 それに、お化けが怖かった。幽霊も怖かった。子供なのだから当たり前なのだが、ちょっと度を越していたようだ。両親も呆れ半分、心配半分だったように思う。

 さすがにこのままではマズイと感じたのだろう。折に触れて、矯正された記憶がおぼろげながらある。もちろん、暴力的なものではない。その甲斐あってか、小学校に上がる前までには、そういった面に関しては、なんとか平均的になった。

 今思うと、少し不思議だ。一体何がそんなに怖かったのだろう。たとえば、身体的な危険に対する恐怖というのは、後天的なものはもちろん、本能的に備えてい ると思う。けれど、幽霊が怖い、というのは、どこからきた恐怖なのだろう。自然と学んでいくものなのだろうか。それとも、これも本能的なものなのだろう か。もし、本能的なものだとしたら、それは逆説的に幽霊の存在を証明していることになるのだろうか。

 

 色々と書いたが、「サツジンパンプキンヘッド」はSFだ。強いて分類するなら、ディストピアものだろうか。遠い未来、閉鎖されたシェルター(イメージ的にはコロニーの方が近いだろうか)の中で、殺人事件が起こる。そして、それはパンプキンヘッドという神様が行っているという。遠い未来の世界で、現代よりも科学の発展している世界でも、人々はそんなオカルトを口にしている。

 僕は小説を読んで感じる、皮算さんの人間に対する視線が好きだ。それは以前に読んだ「魔法中年!」でも感じられた。優しくも、ときにシニカル。そして今作では、身体的にも精神的にも残酷で凄惨な物語が綴られる。SFで、サスペンスで、ホラーの要素もあるのに、読後感はなんともいえない趣がある。考えさせられるからだ。

 遠い未来の話だが、神社などが出てくる世界観も面白かった。どれだけ科学が発展しても、オカルトの類はなくなりはしないのだろう。良いか悪いかではなく、それが人間なのかもしれない、と思った。

 ありきたりな言葉だけれど、人間が一番怖い。子供の頃の自分に教えてあげたいけれど、さすがに大人げないか。