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僕の神様、第二回「保坂和志」

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 先日ふと、こんなことを思ったのでツウィートしました。

 ということで、のほほんと自由に、僕の神様のことを書いていこうかなと。

 さて、第二回は保坂和志さんです。

 保坂和志 - Wikipedia

 90年に「プレーンソング」でデビュー。95年には「この人の閾」で、芥川賞を受賞。

この人の閾 (新潮文庫)

この人の閾 (新潮文庫)

 

 

「汚くしてるけどおいでよ、おいでよ」というので、およそ十年ぶりに会ったこの人は、すっかり「おばさん」の主婦になっていた。でも、家族が構成する「家 庭」という空間の、言わば隙間みたいな場所にこの人はいて、そのままで、しっくりとこの人なのだった…。芥川賞を受賞した表題作をはじめ、木漏れ日にも似 たタッチで「日常」の「深遠」へと誘う、おとなのための四つの物語―。

 日常の一コマを切り取った「だけ」の小説です。つまり、ストーリーと呼べるものが何もないのです。でも、小説として成立している。保坂和志さんの作品は、ほとんどストーリーがないといっても過言ではないでしょう。

 小説を小説たらしめているものは、なんなのか。そんなことを考えさせられます。

 でもね、読んでいて本当に心地良いのです。不思議だな。そして、これこそが小説だって、本当に思えるのです。(THE 小説っていうか)

 拙著「LaLaLaLIFE」とか、そういう日常の中の物語とか、物語未満の部分みたいなところを書きたいなー、と思って(特に「不揃いのカーテンレール」とか)、この本のことを思い出していました。色々読んでいくうちに、なんだろうなー、要は気にするか気にしないかというか、すべての物事への気の配り方を取捨選択することとか、そういうので物語って、どこにでも見つけられるんじゃないかなー、など考えていました。

 ちょうど良く(?)、ヒントがあったのでご紹介。

 ほぼ日刊イトイ新聞 - カンバセイション・ピース。

日常生活から芸術が生まれるんじゃなくて、
芸術が日常生活を支えているんですよね。
だから、みんながふだん使っている
美意識とか価値観っていうのは、
ぜんぶ、もとは文学が作りだしているもので。
それがあまりにも定着しちゃっているから、
普通の人はそこに気づくこともできなくて、
文学なんか要らないと思っているんだけど、
もとをたどれば、ぜんぶ文学なんです。

 同じく拙著「アワーミュージック」でも、「本を読まない人の言葉って陳腐じゃないですか?」なんて女子大生に言わせてるんですけど(笑)、そういうことなのかなーって(どゆこと?w)

(拙著という言葉は本来、僕のポリシーには反するのですが、神様の手前ですからね!)

 とはいえ、「引用だけして判った気でいるのもおかしい」みたいなことも仰られているので、もう判んないもんは判んないまま書きなぐって良いんだ! みたいに都合良く捉えています。神様の言う通り。

 

 おわり。

 

プレーンソング (中公文庫)

プレーンソング (中公文庫)

 
カンバセイション・ピース (新潮文庫)

カンバセイション・ピース (新潮文庫)

 

 

 余談ですが、あらためて読んでみると、十年ぶりに誰かに会いに行くって、充分「非日常」だとも思うんです。毎日会っている人って、日々その人の情報って「更新」されていきますよね。でも、十年です。十年分の情報を、一度に(全部は無理でも)更新するのって、すごく刺激的と言うか。とはいえ、でもやっぱり日常だよな、とも(おい)。そう考えると(?)、毎日の生活って結構複雑なことしてますよね。同じことをしているようでも、全く同じってことは絶対にないわけです。ルーチンワークみたいな日々でも、細かな条件は日々、必ず違っている。って、余談ですね。判らないまま書いてみました。

 

 ほんとにおわり。

 

 

LaLaLaLIFE

LaLaLaLIFE

 
アワーミュージック

アワーミュージック