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Category of Happiness

幸せのカテゴリー

醸し出す匂い。

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 あぁ、あんなに愛し合ってた二人〜♫

 どうして別れてしまったの〜♫

「こういう歌の歌詞ってよくあるよね」

「そうだね」

「でもさ、どうして自分たちのことなのに、どこか他人目線なの?」

「それはさ、例えばある程度の時間が経って、過去を客観的に見られるようになった、というのを表しているからじゃない?」

「じゃあ、そう歌えば良いじゃない。どうしてわざわざ他人目線になるのかな?」

「わざわざ他人目線になった、というよりかは、直接そう言うと野暮だから、それを匂わすような表現にしたんだよ」

 説明しすぎると野暮になる、というのは誰しもが知っている真理で、たしかにそうなのだけれど、前提条件を認識していないと理解出来ないことも多い。

 僕は他人の話を聞いている時、よく「何が?」「誰が?」「いつ?」「どこで?」と聞き返すことが多い。相手が困っていたり焦っていたりする場合が多いので、淡々と聞き返すことで、怒らせてしまうことも。

 日本語というのは、主語を省略出来る言語で、それは「場」の共有意識が高いから、という話を聞いたことがあるけれど、相手の話の「背景」にある「主張」みたいなものに興味がない、または気付いているけれど認識したくないので、良い言葉で言えば「フラット」な状態で話を聞いている。

 要は「面倒くさいからなんとかしてほしい」みたいな思惑が透けて見えてしまうと、途端に察することをやめてしまう。(嫌なヤツだ)

 逆に、なんとか力になってあげたい相談のときも、聞き返す。それは相手の話を詳細に聞いた方が、助けになれる範囲も広がるだろうし、相手が困っている状況を詳しく理解したいからだ。だから相変わらず「何が?」「誰が?」「いつ?」「どこで?」と聞き返すけれど、なるべく刺々しくならないように気を使う。

 話がそれたけれど、小説で何かを言いたいとか、理解してもらいたい、と思ったことはない。「何か」というほどハッキリしたものじゃなくて、強いて言うなら「感じ」みたいなものを伝えたいな、とは思う。

「感じ」ってのも難しいんだけれど、(そして言葉で小説を書いておいてなんなんだけど)言葉の向こう側にある「情景」というか。それは映画でも音楽でも絵画でもなんでもそうなんだけど、作品の向こう側にある「情景」って、メディアとかフォーマットが違っても、あるものだし、共通する場合もあると、僕は思う。ある音楽と映画が近い感じがする、とか、ある漫画と小説とか、表面上の表現手法は違っても、同じ(近い)情景が感じられることも多々ある。

 で、その「感じ」とか「情景」って、説明しすぎると野暮になって見えなくなってしまうものだし、強烈な(一方的な)メッセージになってしまうのも滑稽だとも思う。(メッセージが悪い、というわけではなくて)

 だから「匂わす」ってのは、良い例えで、目に見えるわけでもなく、聞こえるわけでもない、そういう感覚って味わい深いし、それを「作品」から感じられるのって、作者の凄さと受け手の感性だ。視覚と聴覚って、データで記録、伝達が出来るけれど、匂いとか味って、デジタル化出来ないですよね。少なくとも今は。おわり。


Nirvana - Smells Like Teen Spirit - YouTube