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Category of Happiness

幸せのカテゴリー

今日は何の日?

雑記
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 さて、一体何の日だろう?8.16だからハイムの日か。セキスイハイム

 毎日が何かしらの日のようだ。Googleで検索すれば、その答えはすぐに判るだろうが、別にしない。というか、あまり興味は無い。

 

 昔は、少し違った。高校生くらいの頃の僕は、イギリスとかアメリカの音楽が好きで、ジョン レノンやカート コバーンの命日だとか、ウッドストックの日とか、かの名盤の発売された日だとか、さすがに毎日とまではいかないが、何かしらの日というのを憶えていた。けれど、もう最近は思い出すことも少ないし、何をするでもない。(若かった頃は、それこそ追悼とか、その日にちなんだ曲を自室で弾いたりしていた) それは、大人になった、という言葉で片付けてしまえばそれまでの、そんな変化だ。ただ、個人的なことだけれど、23歳の時に、迷信めいたものをあえて信じる必要も無いし、無理に周りに合わせることも無い、というのを決めたからでもあるのだが。

 

 でも、年を重ねるに連れて、鈍くなっていくのを感じている。

 10代の頃は、敏感だった。と、思う。

 チャラチャラしているような気がして、ろくにオシャレも出来なかった。まぁ、オシャレというか、華やかな格好が。だから、ずっと同じような服ばかり着ていた。まぁ、今でも、別段オシャレというわけではないけれど、トレンドものを、控えめに着ることは出来るようになった。

 歳を取ると、恥ずかしいことが増えるという。仕事の役職や立場、責任も増えるし、部下や後輩も増える。だから、確かにそうだろう。

 でも、年齢を重ねるにつれ、色々なことが恥ずかしくなくなってきてしまった。今になって思えば、子供染みた、若気の至りというか、変に尖っていて受け入れられなかったものが、今ではすんなり受け入れられる。どうでも良くなった、というのとは、少し違う。こだわりがなくなった。それで、自由になれた部分もたくさんあるけれど、単に鈍くなっているだけなような気もして、難しい。

 今でも、些細なことに拘ってしまうこともある。拘るというか、意地を張ってしまう。後々になって、下らないことだな、と思い返す。

 まだまだ、敏感な部分があるものだ。だから、自分のそれを、なるべく客観的に見るようにしよう。まだ辛うじてピーキーなセンサーの振れ幅を、もっと広げよう。

 

 


ふくろうず 『砂漠の流刑地』 - YouTube

 

百万回戦争やって この手を真っ赤に染めたって

今だんだんだんだん好きになっていく

 

 ところで昨日は何の日だっけ?