もしも世界が100人の自分だったら
もしも世界が100人の自分だったら。
はたして何人が小説を書いているだろうか。多分、5人くらいだと思う。(意外に多い?)
旅に出ているのは、2人くらいだろうか。それくらい、僕は旅行が苦手だ。旅行に行くには、ある程度、前持ったスケジュールが必要だ。店や宿を予約しないといけないし……。億劫だ。あんまり気持ちが続かないから、長期的なスケジュールが苦手だ。
関係ないけど、「旅行に行く」は重複表現だろうか。まぁ、どっちでもいい。
旅行は苦手だけど、30人くらいは、時間があったら近所を散歩しているだろう。散歩は楽しい。自宅の半径数百メートル以内に、自分がまだ踏んだことの無い地面があるだろうか、と想像する。そして、七回に一回くらい、お気に入りの喫茶店かカフェで、コーヒーを飲んでいるだろう。コーヒーは好きだ。でも、人見知りだから、お気に入りの店でも、頻繁には行けない。遠慮がちというか奥ゆかしいというか、店員さんとの距離感をはかりかねてしまうのだ。
楽器を手にする機会があれば7人くらいはギターを弾いているかもしれない。さらに4人くらいはピアノも。ドラムやベースも、それぞれ1人くらいはやっているだろう。
結婚はどうだろう? 20人くらいはしているだろうか。でも、2人くらいは一生独身な気がする。(というか、この場合自分と? 細かいところは気にしないでおく)
仕事は、ほとんどがしているだろう。中には運良くというか、たまたまというか、していないのも、1人か2人はいるかもしれない。
小説に限らなければ、90人以上が本を読んでいるだろう。それでも、多く読まれているのは、小説かも。映画も同じくらいかな? 旅に出ている二人も、どこかの外国で、言葉のわからない映画を観ているかもしれない。
僕が嫌いなことをしている自分も、何人かいるだろう。誰かと同じことをするのが嫌だ、と言って。親譲りの天邪鬼だ。(無鉄砲さは、あまりない。ビビリだから)
もしも世界が100人の自分でも、一人一人、誰が何を思い、考え、それをしているのかは、わからなそうだ。自分のことだからわかりそうなものだけれど、時々自分でも、よくわからない行動をすることもあるし、自分の考えがわからなときもある。
例えば、「今日何が食べたい?」と尋ねられたとき。「あ〜、なんか、こう、ふわっとした、アレ的な〜」(←何も思い浮かんでいない)ただ、食べたい物が決まっている時は、意地でもそれにする。肉だったら、肉。食に執着があるわけではなく、頑固なのだ。欲しい物が欲しい状況で手に入らないと、拗ねてしまう。でも他に良いものがあれば、あっさりとそれにするだろう。というか、そんなヤツが100人もいるのか……。ぞっとしない。
多分、100人それぞれ、好き勝手に、自分の好きなことや、好きなことの為に何かをやっているだろう。そして、傍目には、何を思い何を考えているのかは、わからない。話をしてみれば、少しはわかるかもしれない。それでも、全てはわからないだろう。たとえ100人全員が、自分でも。
そう考えると、僕が今、過ごしているこの世界と、あまり変わらないんじゃないか、とも思ったりする。
そう、だから(ん?)
自分には理解出来なくても、(あれ? おかしいぞ?)
人それぞれ、熱心にやっていることがある。(これは、まさか……!)
興味が持てなくても、(お得意の……)
下らないな、と思っても、(改行ポエムか?)
それを一所懸命にやっている人たちがいるのだ。(いや、違う……!)
嫌いなら嫌いで、良い。(これは……!)
ただ、それを指差して、(まさかの……)
笑うのは、ちょっと違うんじゃないかな。(というか、やっぱり!)
(宣伝だぁ!)
「他人のシュミを笑うな」
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