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 巷で話題の映画「渇き。」を先日、見てきました。

 


映画『渇き。』予告編 - YouTube

 まず、全体的な感想から。

 冒頭、伏線のようなミスリードのようなシーンから始まります。主人公は、元警察官のおじさん。自分の娘が突如失踪したことを知り、捜索に乗り出します。ポップでキッチュ?なオープニングが始まり、主人公は旧型の日産グロリアを駆って、色々な人に会いに行きます。この「旧型の日産グロリア」というのが、個人的にはポイントが高くて、私立探偵濱マイクを思い出しました。(濱マイクは映画版ではメトロポリタン、テレビ版では旧型のクラウンに乗っています。探偵物語松田優作のベスパと合わせて、こういうタイプの探偵の雰囲気を演出しているような気がします)

 このような部分から、僕は「バイオレンスアクション探偵映画」だな、と思いました。色々な人たちから話を聞いて行くうちに、自分の娘の本性を知って行く。そのうちに、裏社会のゴタゴタにも巻き込まれて行く、というような、まぁまぁよくある探偵映画のストーリーです。

 ただ、人物描写やバイオレンス描写もさることながら、僕は、少々、時代遅れというか、古くさい印象を受けました。探偵映画(厳密には主人公は探偵という職業ではありませんが)としては、レトロな雰囲気を出すというのは、正攻法だと思うのですが(車とか、服とかね)、扱われている素材というか、例えば裏社会だったり、スクールカーストだったり、中島哲也監督が扱うにしては、ちょっとだけ手垢の付いた素材だと思うのです。一昔前の最先端というか。

下妻物語」「嫌われ松子の一生」「パコと魔法の絵本」と、独自の映像感覚で、映画を撮ってきた中島監督ですが、湊かなえ原作「告白」がヒットして、センセーショナルな題材を扱う監督、というカラーが強まったとも思います。

 だからこそ、「渇き。」では、そんな世間からの評価に対する、ささやかな反抗をしたのではないか? と僕は思いました。つまり、過剰なバイオレンス描写も、裏社会やスクールカーストなどの題材も、少々古くさいことを承知で扱っている。時代の先の先をいくのではなく、あえて少し戻るというもの。優れた創作家は、先見の明というか、時代の先を見据える能力をもっていると思います。例を挙げればキリがないですが、押井守パト2)や、ひいては三島由紀夫(午後の曳航)など、時代が創作物に追いつく現象は往々にしてあるものですが、ゼロ年代以降(あえてこの表現にします)、物語や創作の想像力を軽く越えてしまう事件や出来事が起こっています。

 だからこそ、ちょっと戻る。そういう選択をしたのかな? と僕は思いました。原作の小説は未読ですが主人公の名前が「秋弘」から「昭和」に変更されています。「昭和(しょうわ)」という判りやすすぎる記号なので、多分ハズレでしょうが、1984年という近過去を描くという作家もいることですから、どうでしょう?

 あとは、もう一人の視点人物に瀬岡尚人という名前の中学生いるのですが、映画では「ボク」としてのみクレジットされているようです。この男の子は劇中、主人公とは別のルートで、加奈子の本性?に辿り着くのですが、その人物の「名前」が無くなっているというのは、深読みし過ぎでしょうね。

 バイオレンス描写、最後の方は、ずっと笑ってました。音圧高すぎて、笑うしかないCDみたいなものです。