Category of Happiness

幸せのカテゴリー

文芸部に入部しました。

みなさま明けましておめでとう御座います。

本年もよろしくお願いいたします。

さてさて、年末のエントリにも書きましたが、1/25に短編集「ガールフレンド」を発売します〜!

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小説ガヴァドン(I Wish I Was)

ふさわしい場所(A Better Place To Pray)

星のメロディ(Someday My Princess Will Come)

春の窓辺(The Long Good Day)※掌編

 

絶賛校正中です。おそらく間に合うかと。一つは再録ですしね。

それぞれの短編が約3万字くらいなので、掌編も合わせて全部で10万字くらいのボリュームになります。

で、発売日までプロモーション活動をしようと思っていたのですが、ちょうど、とあるゲームが話題になっていると小耳に挟みまして。

その名も、「DokiDoki Literature Club(ドキドキ文芸部)」というゲームです。

海外のパソコンゲームなんですが、ちょっと前に「SOMA」というゲームをやったときにSteamをインストールしていたので、ゲットしました。で、いわゆるゲーム実況というのをやってみようかな、と。

全編英語なのですが、何やら驚愕のラストが待っているらしいので、今から楽しみにしています。

 昨日と今日で、チャプター3までやりました。判っていたとはいえ、英語に苦しめられつつも、なんとか進めています。

いまのところ、至って普通の学園モノというか日常モノで、登場人物のキャラも(良くも悪くも)判りやすい。テンプレ通りというか。英語のハードルが高い分、理解しやすくて良いんですけどね。

幼馴染のドジっ子、ツンデレ少女、文学少女、優等生、といった具合に、まさに「データーベース的」というか、ポストモダン動物化しています(笑)。

 とは言っても、幼馴染とのイベントで、昔のことを回想するシーンがあったんですけど、当たり前ですが「幼馴染」というのはゲームの設定なので、僕は記憶にないんですけど、そのことでなんかちょっとしんみりしたりと、愛着も湧きつつあります。わりと、ゲームとかストーリーにイントゥするタイプので(笑)。

なんとかクリアまで行きたいですが、少しずつ訳しながらのプレイなので、時間がかかりますね。

ということで、短編集「ガールフレンド」プロモ企画!

イケメンインディ作家はガールフレンドたちを攻略できるのか!?

「ドキドキ文芸部!」

 乞うご期待〜!

 

動物化するポストモダン オタクから見た日本社会 (講談社現代新書)

動物化するポストモダン オタクから見た日本社会 (講談社現代新書)

 

 

 

SAYONARA 2017

 うわ、全然ブログ書いてないのに、もうこんなエントリを書く時期ですね。

 みなさん、こちらではお久しぶりです。王木亡一朗です。

 こんな風に年末エントリを書くのは今年で三回目ですね。

 王木さんの2017年は、いったいどんな一年だったのでしょう〜。

 

  2017年9月、短編を発表。以上。

 

 えっ? 一冊だけ……? しかも短編一個……!

 

 

 

 

 

 

マジか。

 

 

 

 例によって、昨年末に書いた予定(というか希望?)、いっこもやってないわ。

ただ、こういう風に年末の記事で書いたことは、あまり実現しないというジンクスがあります。(SAYONARA 2016より)

 ジンクスがあります、じゃねーよ! 探偵小説なんで一文字も書いてへんし。うわ、マジか。今年の俺はいったい何をやっていたんでしょう。(ゲーム)(PS4買った)

 いや、うん。ら、来年はもっと出すぞ!

 ということで、新刊のご案内です。

 年内には間に合いそうにもありませんが、年明け早々、新刊を出します。題名は「ガールフレンド」。3+1編の短編集です。もともと「a better place to pray」はこの短編集の先行シングル的な扱いだったので、満を辞してのリリースですね。(?)

 例によって表紙を先行公開します。

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 ね、いいでしょ? シンプルで。

 発売日は今のところ、1/25を予定していますが、もしかしたら前倒しするかもしれません。実際、「a better place to pray」は前倒しできましたし。

 収録作は、

小説ガヴァドン(I Wish I Was)

ふさわしい場所(A Better Place To Pray)

星のメロディ(Someday My Princess Will Come)

春の窓辺(The Long Good Day)

です。

「春の窓辺(The Long Good Day)」は掌編です。

 

 震えて待て〜!

 

 今のところ、これを出し終えると、小説の予定はゼロになります。

 書きたいものはあるんですけどね。

 ここに書くと実現しなくなるので書きません(笑)

 

 あと、去年の作品ですが、「Lost in conversation」の99円セールを実施しています。

Lost in Conversation

Lost in Conversation

 

  こちらは「ガールフレンド」の発売日(1/25)までとします。

 ヤマダマコトさんから、レビューも頂きましたし。

勝手にKDP本レビュー★51王木亡一朗「LOST IN CONVERSATION(ロスト・イン・カンヴァセイション)」: 新潟文楽工房

 

 このセール、なぜこのタイミングかといえば、なんでしょうね。便乗?

 宮崎あおいさん、結婚おめでとうございます的な。こういうセールはあんまりやらないのですが。前田亜季さんのおめでたい話題があったら、またやろうかしら。

 ブログの読者登録、ツイッターのフォロー、Amazon著者ページのフォローなどなど、お待ちしておりまっす〜! 「ガールフレンド」をよろしく〜!それでは良いお年を〜!


Phoenix girlfriend

 

 

 

ouki-bouichirou.hatenablog.com

ouki-bouichirou.hatenablog.com

 

 

 

オーストラリアの狩人にはなれなかった

 めずらしくベストセラー小説の感想です。売れているみたいですね。電車の中で中吊り広告もみました。「◯万部突破!」みたいな(数字は忘れました)。著者はアルファツイッタラー(?)の燃え殻さん。タイトルもペンネームもキザでウザったいですね。

ボクたちはみんな大人になれなかった

ボクたちはみんな大人になれなかった

 

糸井重里大根仁小沢一敬堀江貴文会田誠樋口毅宏二村ヒトシ、悶絶! 昔フラれた彼女に、間違えてフェイスブックの「友達申請」してしまったボク。43歳独身の、混沌の一日が始まった。連載中からアクセス殺到の異色ラブストーリー!

 

 というか、こういう感じの表紙というか装丁、多すぎません? サブカルクソ野郎どストライクというか。もしかしたら同じ人なのかな。このブログでも三月にご紹介した岸政彦さんの「ビニール傘」とか、最近だとビートたけしの「アナログ」とか。いわゆるジャケ買いというか、「あ、ちょっと良いかも」みたいな感じにさせます。良いセンス、というか。

 本の表紙ってCDとかレコードのジャケットに比べると総じてダサいというか、文字というか情報量が多いんですよね、無駄に。帯もそう。まぁ、無駄ってことはないんでしょうが。でもこれは、シンプルな分、写真を含めた全体に目が行くというか、本当は絵とか写真とか、それだけで情報量としてはあるんですよね。イントゥ出来るか出来ないかは別として。

 それで、内容なんですけれど、これが、のっけからサムい文章の連続オンパレードで、まぁ、タイトルからして「ボクたちはみんな大人になれなかった」ですから、ある程度は覚悟していたのですが。だって、「ぼくたち」でも「僕たち」でもなく「ボクたち」ですからね! 43歳にもなって! それが「大人になれなかった」とか宣ってるんですから噴飯モノとはこのことです。ちなみに僕は朝食はシリアル派です。ケロック!

 昔付き合っていた女の子にFacebookの友達申請を間違って送ってしまって、そんで昔のことをメソメソと思い出す、という内容。エクレア工場で働いていたけれど、なんだかんだでテレビ業界の端っこで仕事をすることになって、番組用の素材を配達する途中で事故って血まみれになりながら納品して、合間に円山町のラブホで彼女とセックスして、そこだけが僕のリアルだったみたいな。童貞を引きずってる敗者の下から目線というか、冒頭にも書きましたがキザでウザったい。こんなサムい文章の羅列、久々に読みましたよ。

 自分からは何も行動を起こせないくせに、周囲のことは羨んでいて、でもそれは巧妙に巧妙に隠しながら、悟っているような振りをする。そんでまた昔の彼女のことを思い出して、大事に大事に傷を撫で回す。大した怪我じゃねーよ! いつまでもいじってるから治らねーんだよ! と何度思ったことか。大した取り柄はないんですけど、音楽とか映画の趣味は悪くないんです、と折に触れて挿入される固有名詞もあざとくてあざとくて。

 そうやって過去を回想しながら、時折、現代の43歳に戻っては、「色々手に入れたけれど、それでも何か満たされない。ちょっと虚しい……」みたいな影をまといながら、当時の同僚というか友人と、これまたキザな会話を繰り返す。うっせーハゲ!自ら光れ! もうね、良い加減にして欲しかった。というか、いつまでお前の話が続くんだよ! 自分大好きかよ! 良いから早く終わってくんねーかな、と思って後半にかけて一気に読みました。

 なんなのこれ!? あのね、こういうナルシスティックな文章は、絶対に自分のことをちょっとカッコイイと思っている人しか書けないのよ。挙げ句の果てには最後に主人公が彼女に向けたセリフ!

 

「ありがとう。さよなら」

 

 マジふざけんなって。飯どころか血反吐を吐いたわ。反吐を吐くって「吐」の字が重複しますね。「竹ちくわ」みたい。竹輪! てか以前にも、主人公がこんなセリフ吐く小説読んだわ。あれもキザで被害妄想的なヤツが主人公だった。ピアノなんか弾いちゃったりして。会話に夢中〜、みたいなタイトルだったかな。

 まぁ、それは良いとして、こんな小説が持て囃されているなんて世も末だな、と思った次第です。年も末ですしね。

 おわり。

谷商店の竹ちくわ  703

谷商店の竹ちくわ 703

 

 


tofubeats - 朝が来るまで終わる事の無いダンスを(2012mix)

 

 それはそうと、この90年代末の、というか1999年の終末感、当時中坊だった僕には若干憧れがあります。

ノストラダムス・ラブ (IKKI COMIX)

ノストラダムス・ラブ (IKKI COMIX)

 

 

 あと、最後に一つだけ付け加えると、この「ボクたちはみんな大人になれなかった」、あんまり売れていなかったら、多分絶賛していたかもしれません(笑)。

 でわでわ。アデュー。

Lost in Conversation

Lost in Conversation

 

 

たとえばこんなアポカリプス

 牛野小雪著「聖者の行進」を読んだ。

 以上、終わり。

 

町へ出るトンネルの出口で美男美女の二人が殺された
無軌道に犯行を重ねるまさやんと追いかけるタナカ
しかしそんな事とは別に破滅の車輪は回り始めていた

 体育館で穴掘りの仕事を始めたタクヤ
ユリの手を引きながら焼け跡を歩くナツミ
二人はそれぞれ巨人と神の言葉を聞く

 

 で良いはずもなく感想なのだが、一言で言えばヤバイ小説だった。そうか彼は今ここにいるのか、と同い年なので色々と意識している僕は思った。正確に言えば、これを書いたときの彼なので、今ではなく既に過去なのだが。

 以前、ゆきなさんの「もの書く人々」という本で対談的なことをしたときに、僕と牛野さんは同い年であり性別も同じなのだけれど、ことごとく対照的というか、面白いほどに真逆(変な言葉)、つまりは正反対(こっちの方がスマートだけどインパクトは薄いよね)なのであったが、小説のある部分もそうだったことが改めて判った。

 牛野作品を全て読んだワケではないのだが、彼の小説の主人公ないし登場人物たちは比較的よく移動をする。どこから来てどこへ行くのか判らずとも、とにかく前に進むのである。文字通り旅をする作品もあるし、月まで行ったりする作品もある。それらが前進なのかは定かではないが、「向いている方が前」だとすれば、やはりそれは前進だ。

 方や、僕はといえば、基本的にずっと同じところにいる。そこでずっと足踏みをしてる。同じところで足踏みしているうちに、周りの景色の方が変わっていく。少し格好つければ、その場でステップを踏んでいる。ステップを踏み続けていれば、次第に上達し、少しはマシなダンスが踊れるだろう、的な。基本的にはどこにも行かず(行けず)、ただ見えている景色が違うこと(視界には入っていたけれど、今まで意識していなかったっこと)に気づく、というパターンだ。

 また、以前から彼の文体には独特のものがあるな、と薄ぼんやりと思っていたけれど言葉に出来なかったのだが、『聖者の行進』を読んで、もしかしたらこういうことなのかな、と思ったことがある。今作は(とくに前半)、視点の移動が度々あって、本格ミステリなら読者から「アンフェアだ!」と言われかねない感じなのだけれど(知らないけど)、それが良い読み心地とスピード感を与えてくれる。リーダビリティも悪くない。三人称なのだけれど、例えるなら人称に小数点がついているというか。3.1人称というか、そういった感じ。未分化的というか、共感覚的なのかなぁ(言葉に出来てないやん)。

 話を本編に戻すが、これは現代の、というか新しいアポカリプスだ。少年よ神話になれ、と言われたので神話になったよ、といった具合である(ん?)。一応「まさやん」という人物が主人公らしいが、どちらかというと狂言回し、ないしはトリックスターである。神話になれ、というか最後は石油になるんだけど。あ、これネタバレかな。まぁ、良いか。とにかく読めよ。俺は読んだ。

 

 

もの書く人々

もの書く人々

 

 


たとえばこんなラヴ・ソング_1983.06.25,26(渋谷公会堂 ライブ・テイク)

石油に火をつけろ!

ライト・マイ・ファイヤー!

からの〜、ジ・エンド!

アポカリプス・ナ〜ウ!

 ということで一応ドアーズ貼ったのだけれど、牛野作品には「ドアを作る会社」というのが度々出てくる。偶然か、それとも……。


The Doors - The End (original)

相応しいBGM その3

 

 すっかり秋めいた気候になってきた。うっかり薄着で家を出てしまい、帰るころにはすっかり寒くなってしまった。

 家に着き、中に入ると昼間の余熱なのか部屋は暑かった。丁度良い、と思ったのもつかの間、暑くてシャツを脱いだ。

 丁度良い季節というのは短い。一年中、大抵暑いか寒いかだ。

 冬になればストーブ、とつい思ってしまうが、こっちに越してきてから一度も使っていない。エアコンか電気ヒーターだ。石油ストーブは本当に暖かい。実家の庭には父親が趣味で使っている薪ストーブもある。いや、電気の方が手軽で便利なのだけれど、便利なものはなんとなく無粋だったりする。

 時間やお金を節約できると、なんとなく得をしたような気になるけれど、その節約したお金や時間で何をするか、それが抜けていると本末転倒だ、ということなのかもしれない。

『a better place to pray』の相応しいBGMその3は、ミスター・ロンリィ。マイケル・ジャクソンとしてしか生きられない男を描いた同名の映画もおすすめです。


Bobby Vinton - Mr. Lonely

 

 高校三年生のときに車の免許を取って、家のカローラをよく乗り回していた。当時でも古い車だったのでCDは無く、カセットとラジオだった。夜中になって、手持ちのカセットに飽きてくると、ラジオに切り替える。そうすると流れてくるのが、この曲のオーケストラバージョンと伊武雅刀さんの声だ。

 大分後になって、同名の映画を見たときに、この曲が歌で、歌詞があることを知った。生まれた場所を遠く離れ、戦場で孤独にいる兵士の歌だった。

 

これは葬式だ。何かが弔われていく。呪いの言葉も、きっと祈りだったのだ。祈りという大きな枠組みの中の、ほんの片隅に呪いがあるのだと思う。ミスター・ロンリィ。彼は自分の孤独を弔っていたのかもしれない。けれど、呪いの言葉になったせいで、望まぬ客がやってきたのだ。僕は歯を食いしばり、拳を握った。どうしてかは判らない。多分、何かが悔しかったのだと思う。(本文より)

 

相応しいBGM その2

 十代の頃は、無邪気に愛や希望を歌う歌が嫌いだった。お前らお気楽でホント羨ましいよ、ってな具合に。表面的に飾り付けがしてあるだけで中身が空っぽな、そういう歌を喜んで聞いてる奴らも頭が空っぽのバカだと思っていた。若気の至りだ。

 そういう若さのバカさを失ったのか、ただ単に鈍感になってしまったのかは判らないけれど、この頃はそういう歌も気にならなくなった。宜しいんじゃないでしょうか、ってな具合に。人にはそれぞれ、いろんな事情がある。お気楽な歌を歌っているいように見えても実は……、的な。他人に対して安易な物語を、それこそ想像で付与するのも、どうかと思うけれど。そういう当たり前のことが判ってきたからだろうか。

 反対に、「人にはそれぞれ、いろんな事情がある」ってのを判らずに自分の狭い価値観だけであれこれ言う人をアホだと思うようになったけれど。と、自分の価値観だけで言ってみる。

『a better place to pray』の相応しいBGMその2は、映画『スワロウテイル』の劇中バンド『yen town band』が(劇中で)初めて演奏した『My Way』。フランク・シナトラのヒット曲(?)のカバー。作詞は、日本だと某ボウリングドラマの主題歌で有名(?)な、ポール・アンカさん。CDに収録されているバージョンより、劇中の、ラフなセッションの延長線上のようなバージョンの方が好きだ。

 


YEN TOWN BAND結成の序曲「My WAY」

 円が世界で一番強くなった架空の日本のお話であるこの映画の中では、日本は円都(イェンタウン)と呼ばれ、円を稼ぎに来る外国人たちを日本人たちは円盗(イェンタウン)と呼んで蔑んでいる。いろいろと突っ込みどころも多いけれど僕はこの映画が好きで、たまに見返している。

 日本人の警察官(?)が三上博史演じる中国系外国人を取り調べるときに、ボコボコに殴りながら「この円盗(イェンタウン)が!」と言ったとき、「円都(イェンタウン)はお前たちの故郷の名前だろ」と言い返すシーンが好き。

 煙草を線香代わりにする冒頭のシーンを見たときは、なんとなくウゲーと思ったけれど、これはこれで印象に残っている。

一筋の煙が昇っている様は、線香のようでもある。そういえば昔見た映画に、煙草を線香代わりにしているシーンがあった。
そう考えると、ここで行われているのは、何かの葬式なのかもしれない。何かを弔うために、みんなここで煙草に火を点け、煙を上げているのだ。でも一体、なんの葬式なのだろう。

 

相応しいBGM その1

 新作短編『a better place to pray』を本日9/22に発売しました。noteに掲載した掌編『レモン/グラス』も同時収録です。

 表題作の短編は後日刊行する短編集『ガールフレンド』にも収録されます。先行シングル的なやつですね。

 タイトルはオアシスの名曲『Dont' Look Back In Anger』から。お前この曲好きだな、と思われるかもしれません。去年出した『Our Numbered Days』の第4話にも使いました(意図は全く違いますが)。

 聞いてもらえば判ると思いますが、イントロは完全にジョン・レノンの『イマジン』の丸パクリ引用ですね(中心メンバーのギャラガー兄弟は熱烈なビートルズファンです)。ファンの間でも通称『イマジンイントロ』などと呼ばれているとかいないとか。

 アリアナ・グランデのライブ会場で起きたテロ事件の追悼の場でも(自然発生的に)歌われたくらい、イギリスの人たちに第二の国歌のように親しまれているようです。

 


Oasis - Don’t Look Back In Anger

 洋楽を聴くようになったのは中学三年生の頃で、きっかけは映画『アルマゲドン』の主題歌目当てで従兄弟から借りたオムニバスアルバム『MAX BEST』でした。そのCDに入っていたこの曲を初めて聴いた時の衝撃(?)は今でも覚えています。それまでJ-POPしか聴いたことのなかった僕には、メロディもサウンドも初めて聞く種類の音楽に聞こえました。そしてなにより、冒頭の歌詞にも感銘を覚えました。

Slip inside the eye of your mind

Don't you know you might find

A better place to pray? 

君の心の瞳に滑り込めば 

もっと祈りにふさわしい場所が

見つかるかもしれないのに

  そのCDの歌詞カードには、確かに上記のように記載されていたと思います。けれど、本来の歌詞はprayではなくplayで、ネットで検索しても、なんなら自分の持っている輸入盤の歌詞カードもplayになっている。誤植だったのです。でも、『祈りにふさわしい場所』という言葉は、それ以来ずっと僕の中に残っています。

 

だから、これはきっと祈りなのだ。でも、もっと相応しい場所があるようにも思う。何でも良い、何処でも良い。けれど、もっと。もっと、相応しい場所が何処かにあるはずなのだ。
一人、また一人と、火を消して立ち去っていく。丁寧に消す者もいれば、乱雑に放り投げる者もいる。みんなどこかへ行く。きっと、目的地はあるのだろう。でも、あてもなく消えていく煙のようでもあった。どこへも行けないから、祈りに相応しい場所が、見つからないのかもしれない。

(本文より)